葬儀の歴史 前編(古代~近世)

古墳古代
712年の『古事記』には、人が亡くなるとすぐには埋葬せず、御食人(みけびと)と言われる食事を用意する者や、哭女(なきめ・・泣き女)などがいて、死者の霊を慰めるために歌舞が行われていたと記されています。他の文献には葬列をしたとの記録も残っており、死者を丁重に扱うことから、死を一つの『プロセス』として捉えていたようです。
遺体の埋葬方法は、現在の寝た状態での『伸展葬』スタイルではなく、腕を曲げ膝を折った『屈葬』が多くみられました。これは、死霊への恐怖が原因であったとも考えられています。

豪族や有力者、上皇の墓として知られる古墳は、3世紀頃から7世紀までのもので、棺には副葬品としての埴輪などが納められています。このように手厚く葬った葬法を『厚葬(こうそう)』といいますが、大化改新(646年)の『薄葬令』により、民衆の負担を減らそうといった動きもありました。そういった中でも民衆は墓など作れるはずもなく、川原などに捨てられることもあったといいます。

古代~中世
奈良時代末期(790年頃)から、陰陽師(占い師)たちの活動が盛んになる平安時代には、鎮魂、慰霊という考え方が現われました。京都の有名な祇園祭は970年から始まっており、街の怨霊を追い出すことでも知られていますね。

火葬は仏教の葬法と言われていますが、仏教伝来以前(6世紀半ば)から火葬が行われていた記録があります。しかしながら、上皇でも全てが火葬というわけではなく、土葬をするために白骨化されるまで待つ風葬(ふうそう)に近い形も多くとられていたようです。
また、葬儀の基本となる、喪服(日本古来は白)で礼拝し、各法要(初七日や49日など)がすでに行われていた事もこの時代の記録に残されてあります。

天台宗の宗祖最澄は、法華三昧堂を建立し、読経により身が清められると説きました。後にその三昧堂は墓所の意味を指し、寺院へ納骨するようになったと言われています。

公家中世~近世
現代の葬儀に近い、湯灌や出棺の際の儀礼や拾骨(収骨)、その後の法要などが行われたのは平安中期(10世紀)に入ってからでした。室町時代には、武士の間で今でいう香典が寄せられていたようです。
また、この頃の儀礼は出棺前ではなく、火葬場での仏事が中心だったようですね。夜通しかかった荼毘の後、僧侶が念仏を唱え拾骨。しかし精進落としは七七日(49日)に行っていました。

農業が主体だった日本の社会では、鎌倉時代から室町時代末期には農民が力を持ち、それまで貴族や武士が支えていた寺院に農民も加わり、自然と檀家関係(寺請制度へ)が誕生します。
そのため、それまで持てなかった墓を庶民も持てるようになり、農民の自立により家の確立と墓の所有を実現させたのです。

ところで、お正月や各行事でお世話になる神社は『神道(しんとう)』宗教ですが、こちらは鎌倉時代中期以降のものです。
しかしすでに檀家関係が強い仏教寺院との軋轢が生まれ、肩身の狭い思いをしていた神社にとって、明治維新の『神仏分離令』は、国教化という地位を確立したといえます。

日本史年表
538年頃 仏教伝来
645年  大化改新
794年  平安京に遷都
806年  最澄 天台宗開く
(仏教が普及)
1192年 鎌倉幕府成立
1224年 親鸞浄土真宗開く
(一般大衆へと仏教が普及)
1245年 道元 曹洞宗開く
1253年 日蓮 日蓮宗開く
1665年 寺請制度始まる