最近の葬儀スタイル・・・ 「家族葬」 「一日葬」 「火葬式(直葬)」

ここ数年のご葬儀スタイルを見てみますと、あまり規模の大きくない『家族葬』が増えているようです。『家族葬』というスタイルは数年前から多くなってきましたが、さらに最近では『ワンデイ』、『直葬』というスタイルも増えつつあります。今回は『ワンデイ』について詳しく見ていきたいと思います。

♦『ワンデイ』葬儀とは・・
『一日葬(一日葬儀)』や、『ワンセレ』とも呼ばれるようですが、通常お通夜と告別式合わせて2日間の儀式を、1日で全て行うのが『ワンデイ』というスタイルです。火葬前にお別れの儀式を行い、火葬後に本葬(骨葬)を行う場合もあります。主に首都圏で増えつつあるようですが、このスタイルでの葬儀を行なう背景には、葬儀の小規模化、簡素化、長引く不況など様々な理由があるようです。

《理由その1》
2日間の葬儀に比べて1日分の費用となるため、費用を抑えられる。
・お通夜を行なわないスタイルなので通常「お清め」と呼ばれるお通夜での料理が不要となります。
・式場使用料においては、1日の葬儀でも2日分かかる所もあれば、一日の利用料となる式場もあるので、式場使用料での費用がほぼ半額になる場合もございます。

《理由その2》
身内だけの少人数のご葬儀ですと、遠方の方が二日間出席するのは大変という気持ちから一日葬なら、宿泊などの心配や、お身体のご負担が少なくてよいと考える傾向も。

♦『家族葬』や『ワンデイ』葬儀はここが良い・・・
・故人様と最後の夜をご自宅で過ごす・・・
お通夜がある場合、自宅葬でない限り最後の夜は式場や斎場
となります。最期はゆっくりご自宅で・・・とお考えの方に
は、大変喜ばれるスタイルでしょう。
・参列者が少ないため、接客など気をつかう場面が減り、精神的
な負担が軽減される。
・人数の把握がしやすいため、予算が出しやすい。
小規模であったり、家族・親族様だけの葬儀であった場合は、
参列者を気にせず予算を組めるメリットがあります。

『家族葬』や『ワンデイ』スタイルを選ぶ上で気をつけること・・
訃報をどこまで知らせる?
・葬儀後にご自宅にお線香をあげに来る方が多いと、対応が大変な場合も・・・。

ご親戚の方にも了承を得る
・親戚同士で後々にしこりを残さない為に、葬儀スタイルについてよく話し合う。

故人と関わりの深い方への配慮は?
・親しい方が故人を偲ぶ事の出来る「お別れ会」などの場を設ける。

このように、小規模な葬儀になることで、ご遺族ご親族様の意向を反映させたり、費用面で
の軽減はできます。
しかし、亡くなった方を偲ぶ想いは、到底一日では終わるはずもなく、通常の葬儀も『ワンデイ』も、終わりの無い『始まり』だということが言えるでしょう・・・。

ep18_02♦『直葬(火葬式)』とは・・・
基本的にご葬儀を行わず、直接火葬場でお別れのみ行うスタイルです。
火葬場によっては、火葬炉にお入りになる前にお花入れが出来る所もご ざいます。

 


日本の宗教と葬儀の関係

葬儀を行う上で、「宗教」「宗派」はどのように決めたらよいのでしょうか?また必ず何かに属した葬儀でなければいけないのでしょうか?
今回は、日本の宗教を特集してみました。 宗教と葬儀の「関係」を簡潔にわかりやすく解説
します。

それぞれの宗教は、細かく「派」で分かれており、ここで全てをご紹介するには、あまりにも
膨大ですので、日本で主な宗教のご紹介をさせていただきます。

神道祭壇

神道祭壇

日本の宗教法人系は大きく分けて3つです。
1.神道系
2.仏教系
3.キリスト教系
4.自由葬

1.神道
神道とは・・・日本民族古来の「神道」は八百万の神(やおよろずのかみ)として、多彩に自然発生的に生まれた信仰です。

【神社神道】
「氏子」を持つ地域密着型の教団。

【教派神道】
「神道的宗教伝統の中から特定の組織者
・創唱者を中心とした彼らの教説や宗教体験に従う信者からなる組織宗教」
・葬儀では、焼香ではなく玉串奉奠を致します。

2.仏教
日本の仏教・・・現在日本には、12の宗教団体があります。
【奈良仏教系】・【天台宗系】・【真言宗系】・【修験道系】・【浄土真宗系】・【融通念仏
宗】【時宗】・【日蓮宗系】・【臨済宗】・【曹洞宗】・※【新教派系】=更に6つ、立正佼成会
や創価学会などの新教に分類されます。
一般的に、「仏式」と言われる葬儀はこの何れかで行われるのですが、同じ仏教でも
宗派によって細かい所作の違いがあり、お悔やみの方法も様々です。

3.キリスト教系
日本のキリスト教とは・・・
【ローマ・カトリック】
カトリック中央協議会と呼ばれ、ギリシア正教会系では日本ハリトス正教会教団があります。

【プロテスタント】
日本基督教団や、英国国教会系の日本聖公会、ルター派の諸教団でルーテル教会などがあります。
・葬儀では焼香ではなく献花を行ないます。

ep17_01自由葬とは・・・
「無宗教葬」とも呼ばれる、宗教にとらわれない葬儀です。
故人様の以前からの意向やご遺族様のご希望により、様々な様式で行われます。
法律上、倫理上で問題がなければこれといった決まりは無く、他の宗教葬と同様に心のこもった葬儀なのは変わりありません。弊社での施行例をご紹介します。

4.自由葬
弊社、(株)アートエンディングでの自由葬の事例祭壇・りん・経机を置かず、沢山の花で囲まれたお棺に故人様の笑顔のお写真を飾り、お好きだった音楽を流し、ワインをたむけた心温まる
和やかなご葬儀でした。


納棺について・・・『納棺の儀』とは・・

故人様を棺に納めることを「納棺の儀」といいます。映画『おくりびと』でも、その「納棺の儀」の意味と大切さを考えさせられました。弊社では、プロの納棺師の方にお願いをしておりますので、生前のお姿に一番近い形でお納めすることが可能です。そうすることで、ご遺族様のお気持ちに少しでも寄り添うことが出来ればと考えております。『納棺の儀』の進め方、必要なものについてご紹介いたします。

♦『納棺の儀』の流れ・・・
亡くなってすぐに『納棺の儀』を行う場合もありますが、ご親族の皆様が集まりやすい通夜の
前などに行われることが多いようです。

1.納棺師により、お体の状態をみて納棺しやすいよう整え、宗派によるお着物を着せる。
2.故人様にお化粧(頭髪のセット、ひげを剃るなど)を施す。
3.皆様にて棺に納める。
4.浄土真宗以外の宗派の場合は、お旅立ちの装束にお着替えする。
5.お一人ずつ故人様のお体を拭いて差し上げた後、お水などで故人様のお口を湿らせる。
6.副葬品をお入れする。(ご愛用品や食べ物など、火葬に支障のないもの)
7.棺のお蓋を閉めて、納棺終了。
ep16_002
【儀式の際に必要なもの】
・宗派によるお着替え
仏式の場合-経帷子(きょうかたびら)
神式の場合-白の小袖
・お旅立ちの装束
(1)装束は左前に合わせ、上帯(うわおび)を締める。
(2)手甲(てっこう)
(3)脚絆(きゃはん)
(4)足袋
ep16_004(5)六文銭(ろくもんせん)を頭陀袋(ずだぶくろ)に入れる。
(6)白の三角巾(死装束のひとつですが、顔の印象が変わってしまうので最近ではつけることが少なくなりました。)
(7)杖
(8)網傘
(9)草鞋(わらじ)

人が亡くなるということは大変お辛いことです。しかし、ご遺族様や親しい方でご納棺す
ることで、その事実を受け止める大切な儀式でもあります。出来る限り皆様よりお手伝い
をして頂き、大切な方を送り出してあげましょう。また、最期までご病気だったなど、故人様のお体をもう少し綺麗にして差し上げたい場合は、『湯灌(ゆかん)』といって、専用の浴槽でお身 体を洗い流して差し上げることもできます。詳しくは、弊社までお問い合わせ下さいませ。

Q1 納棺は必ず必要ですか?
A 棺に納めていないと火葬が出来ませんので必要です。

Q2 好きなお洋服を着せての納棺は可能ですか?
A 菩提寺様の了承と、火葬に支障のないお洋服でしたら可能です。

Q3 病気でお顔がだいぶ変わってしまっているのですが・・・
A 状態にもよりますが、納棺師の方が生前のお姿になるべく近いようにお化粧などして
下さるので、それほどご心配はいりません。

【故人様の為にお棺に入れる 副葬品の例】
・釣りが好きだった方は木製釣竿
・絵画が好きな方は筆や絵の具、紙パレットなど
・お酒が好きな方は紙パックのお酒、おつまみ品
・甘いものが好きな方はケーキ、大福、まんじゅうなど
・たばこ
・趣味の将棋の駒
・本(1~2冊くらい)
・ペットの写真  ・・・など


葬儀の歴史 後編(近代~現代)

明治維新を境に、葬儀スタイルも大きく変化を遂げます。それまでは身分制度があったため、奢侈(しゃし=ぜいたく)を嫌う行政権力に支配されていました。しかし、葬儀を大きくしたいという民衆の想いは消えませんでした。その後を見てみましょう!

【近代~(火葬)】
キリシタン取り締まりを目的としていた幕府が制定した寺請制度でしたが、様々な戸籍の管理をすることとなった寺院への寄進や布施が民衆から批判の的となり、明治維新と共に『神仏分離令』が出され、たくさんの寺院が破壊されました。そして、明治4年には戸籍法が改正され寺請制度はなくなりましたが、強い基盤を持つ檀家制度は生き続けます。

しかしながら、仏教的である火葬は都市部を除いてはそれほど行われていませんでした。なぜならば、政府が火葬禁止の布告を出していたためです。そうなるとまた火葬寺が『火葬便益論』をだし、土葬だと移動できないことや土地が足りなくなることを理由に、火葬がよいことをアピールします。それにより政府は2年後には火葬禁止令を撤回し、許可条件を示して火葬を進めるようになりました。ただ、火葬 は高額な葬法でしたので、火葬場での荼毘は貴族や武士階級のもので、 庶民は野焼きが中心だったようです。

【近代~(葬儀)】
さて、江戸時代にあった士農工商の身分制度が取り払われると、葬儀は一変します。それまでは、夜にひっそり葬列が組まれていたものが、日中に大名行列 のような葬列となったのです。輿(こし)に寝棺(ねかんと呼ばれる今のスタイルの棺)を入れ、花車(生花などを挿したもの)、位牌の輿香炉の輿など様々な葬具が出現し、貸し葬具屋が誕生します。地域の人に食事を配るという租供養もこのころから大型化した習慣です。また、列に欠かせない人夫も必要でした。棺として使われる桶などを製作する桶屋は、江戸時代後期に出現しますが、この時代の葬列の肥大化が、葬儀を生業とする様々な起源になったと考えられています。『風(風邪) が吹けば桶屋がもうかる』とはそういう意味だったのでしょうか?(諸説ありますが・・)

【現代~(葬儀)】
ep10_01大正時代になると、交通の妨げとなる大型葬列に対してのバッシングが 強まり、現在の告別式にスタイルを変え、『野辺の送り』である葬列を霊柩車に変えていきました。そして、告別式で登場したのが『祭壇』です。

それまでは、現在の枕飾り(生花、造花、供物が置ける程度のもの)で した。戦時下になると、細々と残っていた葬列もなくなり、霊柩車の燃料や葬具の供給が困難になり、葬儀どころではなくなります。しかしその後、日本経済が復興してくると、葬具屋は地方特有の葬具ではなく、 全国どこでも使えるような祭壇などの葬具の統一化を図っていきます。
このころ『葬儀=祭壇』という図式が成立していくのです。しかし、まだ貧富の格差が大きかった中で、香典の自粛や制限があったのはやむを得ないことでしょう。そんな社会情勢を反映してか 、横須賀にある西村葬儀社が最初に互助会制度を開始しました。様々な消費者トラブルも多かったようですが、最初に葬儀費用のシステム化に成功した一つの例とはいえるでしょうか。それまで葬儀の運営は地方自
治体が中心でしたが、核家族化の進展により、葬祭業者が運営までを行 うようになりました。家族構成の変化や、車社会化などもあり、それまでの自宅やお寺での葬儀から、火葬場併設の斎場での葬儀に変わり、葬祭業者はよりきめ細かいサービスが求められるようになっていったのです。バブル崩壊後、葬儀はさらに小型化、密葬化していきます。その人らしい葬儀への関心が高まり、今では『お別れ会』方式の葬儀など多様化が進んでいます。

~日本史年表~
1665年   寺請制度始まる
1868年   明治維新
1887年~1897年  葬列の肥大化
1903年   葬列廃止進む
1915年頃  霊柩車使用
1948年  互助会誕生
1953年  祭壇製造増加
1995年  葬儀小型化進む
2000年  火葬率99%(世界一)

 


葬儀の歴史 前編(古代~近世)

日本古代の葬儀・・・昔はどんな儀礼をしていたのでしょう?現代のような設備が整っていない中で 、人々はどのようにして死と向き合い、死者の霊を慰めてきたのか・・・歴史を紐解いていきましょう!

◆古代

img01712年の『古事記』には、人が亡くなるとすぐには埋葬せず、御食人(みけびと)と言われる食事を用意する者や 、哭女(なきめ・・泣き女)などがいて、死者の霊を慰めるために歌舞が行われていたと記されています。他の 文献には葬列をしたとの記録も残っており、死者を丁重に扱うことから、死を一つの『プロセス』として捉えていたようです。
しかしながら、遺体の埋葬方法は、現在の寝た状態での『伸展葬』スタイルではなく、腕を曲げ膝を折った『屈葬』が多くみられました。これは、死霊への恐怖が原因であったとも考えられています。
豪族や有力者、上皇の墓として知られる古墳は、3世紀頃から7世紀までのもので、棺には副葬品としての埴輪 などが納められています。このように手厚く葬った葬法を『厚葬(こうそう)』といいますが、大化改新(646年) の『薄葬令』により、民衆の負担を減らそうといった動きもありました。そういった中でも民衆は墓など作れる はずもなく、川原などに捨てられることもあったといいます。

◆古代~中世
奈良時代末期(790年頃)から、陰陽師(占い師)たちの活動が盛んになる平安時代には、鎮魂、慰霊という考え方が現われました。京都の有名な祇園祭は970年から始まっており、街の怨霊を追い出すことでも知られています。
火葬は仏教の葬法と言われていますが、仏教伝来以前(6世紀半ば)から火葬が行われていた記録があります。しかしながら、上皇でも全てが火葬というわけではなく、土葬をするために白骨化されるまで待つ風葬(ふうそう)に近い形も多くとられていたようです。また、葬儀の基本となる、喪服(日本古来は白)で礼拝し、各法要(初七日や49日など)がすでに行われていた事もこの時代の記録に残されてあります。
天台宗の宗祖最澄は、法華三昧堂を建立し、読経により身が清められると説きました。後にその三昧堂は墓所の意味を指し、寺院へ納骨するようになったと言われています。

◆中世~近世
現代の葬儀に近い、湯灌や出棺の際の儀礼や拾骨(収骨)、その後の法要などが行われたのは平安中期(10世紀 )に入ってからでした。室町時代には、武士の間で今でいう香典が寄せられていたようです。また、この頃の儀 礼は出棺前ではなく、火葬場での仏事が中心だったようですね。夜通しかかった荼毘の後、僧侶が念仏を唱え拾 骨。しかし精進落としは七七日(49日)に行っていました。
農業が主体だった日本の社会では、鎌倉時代から室町時代末期には農民が力を持ち、それまで貴族や武士が支えていた寺院に農民も加わり、自然と檀家関係(寺請制度へ)が誕生します。そのため、それまで持てなかった墓を庶民も持てるようになり、農民の自立により家の確立と墓の所有を実現させたのです。
さて、お正月や各行事でお世話になる神社は『神道(しんとう)』宗教ですが、こちらは鎌倉時代中期以降のものです。しかしすでに檀家関係が強い仏教寺院との軋轢が生まれ、肩身の狭い思いをしていた神社にとって、 明治維新の『神仏分離令』は、国教化という地位を確立したといえます。

【日本史年表】
538年頃 仏教伝来
645年 大化改新
794年 平安京に遷都
806年 最澄 天台宗開く(仏教が普及)
1192年 鎌倉幕府成立
1224年 親鸞浄土真宗開く(一般大衆へと仏教が普及)
1245年 道元 曹洞宗開く
1253年 日蓮 日蓮宗開く
1665年 寺請制度始まる


野田市斎場小式場にて2回目のお手伝い 感謝ケーキ

野田市斎場施行例以前、野田市斎場にてお父様のお手伝いをさせて頂きました方から、今回はお母様のご葬儀のご相談を受け、お手伝いをさせて頂きました。

お父様の時は年末に亡くなられたため、亡くなられた日からご葬儀まで10日ほど待ちましたが、今回も7日ほど待ってのご葬儀となりました。

野田市斎場は、本当に待つことが多い式場です。今回もドライアイスの交換などで対応させて頂きました。

お式には、ご家族を中心にご近所の方々が御会葬され、家族葬らしい温かい雰囲気でのご葬儀となりました。

故人がとても甘い感謝ケーキものが好きという事をお聞きし、私も2回目のお手伝いということで、何か出来ればという想いから、他界された旦那様と二人仲良くならんだ感謝ケーキをサプライズでご用意させて頂きました。

葬儀でケーキという初めての試みでしたので、ご遺族様の反応が気になりましたが、少し驚いたあとに「良く似ているね」と微笑んで頂けましたので大丈夫だったかと思います。

これからも、少しでもお客様の心に寄り添えるお手伝いを心掛けていきたいと思うと同時にもっと様々な事を学び、人間力を高めていきたいと感じたご葬儀でした。


野田市斎場の予約は、取るのが大変です。

野田市役所野田市斎場の予約は、野田市役所で取ることが出来ます。他の自治体ではHPの予約システム、または電話予約システムにて空き状況確認や予約を何処に居ても取る事が出来るのですが、野田市斎場は野田市役所に死亡届を持って行かないと予約を取ることができません。

その為、電話で空き状況を確認したとしても、野田市役所に着くまでに、他の葬儀社さんが先に野田市役所に着いてしまうと次の日の利用にずれてしまうのです。

普段、予約を取る際は日程の段取りがついた瞬間に、野田市役所に急いで行く。しかも必ず取れる保証はないので、万が一、着くまでに予定していた日をとられてしまうと、またそこから日程の確認をしなければならない・・・・。

段々と予約のやり方も改善されていくことを望むばかりです。

野田市役所の野田市斎場ご案内ページ 


野田市斎場 葬儀の流れ

野田市斎場施行画像野田市斎場では、お通夜と告別式を執り行う事ができますが、葬儀の流れとしましては、お通夜はほとんどの場合、18時からになり、告別式は火葬時間の1時間30分前の開式になることが多いです。

お通夜の晩は、親族控室(畳のお部屋)に泊まることも可能ですが、シャワーなどの設備はありませんのでご了承くださいませ。

火葬のお時間は約1時間30分ございますので、精進落としの本膳は火葬中に食べることが多く、その後収骨し、解散となります。

式場の予約などは、野田市役所にて手続きを致しますので、書類を葬儀社にお渡し頂ければと思います。


野田市斎場のアクセス

野田市斎場の地図野田市斎場へは、電車か車で行くことができます。最寄りの駅からは距離がありますので、歩いていくことは難しいです。

●野田市斎場へ電車で行く場合

野田市斎場は、最寄の駅が東武野田線の「野田市駅」又は「愛宕駅」になっております。駅からは以下の方法になります。

タクシー・・・東武野田線「野田市駅」又は「愛宕駅」下車 タクシー約10分くらいにまります。

※タクシーは「愛宕駅」より「野田駅」の方が捕まりやすいかと思います。

●野田市斎場へ車で行く場合

1.常磐道柏IC・国道16号線柏方面から野田市斎場

常磐道「柏インター出口」より国道16号線にて、春日部・野田方面へしばらく進みます。約8キロメートルほど進みました「野田市駅入口」の交差点を右折いたします。右折後、三つ目の信号を左折し、約500メートル程進みました左側が野田市斎場になります。

2.東北道岩槻IC・国道16号線春日部・岩槻方面から野田市斎場

東北道「岩槻インター出口」より国道16号線にて、野田・柏方面へしばらく進みます。20kmほど進みますと野田市に入ります。野田市内に入りましたら左角にヤマダ電機がある交差点「柳沢」を左折します。左折後、二つ目の信号の二股の道を右方向へ進みます。道なりに800メートルほど進んだ右側が野田市斎場になります。


野田市斎場の霊安室

霊安室万が一の際に、病院からご自宅への移動が住宅事情などで困難な場合は、霊安室を利用することになります。

ただ、野田市斎場の霊安室に病院から直接ご安置することはできません。お棺にお納めされた状態でなければ、預けることが出来ないのです。

そこで弊社では、いったん流山市にある民間の霊安室にご安置させて頂き、打合せにて日程などを確認させて頂いてから、ご納棺し、野田市斎場の霊安室に移動となります。野田市斎場の霊安室は2室あり、どちらか空いていれば預けることが可能となります。

霊安室料は、流山市の民間霊安室は一日約10,000円、野田市斎場の霊安室は一日1,080円となります。公営の施設なので、費用もそれほど掛からずにお預け頂けます。

ただ、霊安室を使用しますと、一度もご自宅へ戻ることなく火葬となりますので、よくよくご相談頂いてからのご利用をおすすめ致します。