宗派と本尊

お葬式を行う際、気をつけなければならない事のひとつに「宗派」があります。
また宗派によって祀られているご本尊が異なります。
皆さんは、自分の家系の宗派や本尊をご存知ですか?
今回は、代表的な宗派とその宗派のご本尊についてご紹介します。

ep36_01【本尊ってなあに??】
各宗派の本尊の写真と、豆知識のご紹介です!
◆浄土真宗
・本願寺派
・大谷派

ep36_02◆浄土宗
浄土真宗、浄土宗は本尊が同じ「阿弥陀如来」です。阿弥陀如来は「無限の寿命をもつもの」、「無限の光明をもつもの」という2つの意味があります。
これから無量寿如来(むりょうじゅにょらい)、不可思議光如来(ふかしぎこうにょらい)、尽十方無碍光仏(じんじっぽうむげこうぶつ)とも呼びます。

ep36_03◆日蓮宗
本尊は「曼荼羅(まんだら)」になります。この語源は、「本質を備えたもの」、「完全にまとまったもの」などの意味であり、仏様本体ではなく、「仏様の悟りの境地」を具現化したのもを本尊としています。

ep36_04◆真言宗
一般的な如来様は装飾品をつけていないが、大日如来は他の仏様と違い装飾品を多くつけているのが特徴です。大日とは光り輝く太陽を意味しています。

◆曹洞宗
◆天台宗
◆臨済宗
ep36_05曹洞宗、天台宗、臨済宗は本尊が同じです。「釈迦牟尼仏」の釈迦は、種族の名前で、通常私たちが呼んでいるお釈迦様の名前は、姓がゴータマ、名がシッダールタといいます。生まれた直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地面をさして『天上天下唯我独尊』と言った逸話はとても有名ですね。


葬儀の歴史 前編(古代~近世)

日本古代の葬儀・・・昔はどんな儀礼をしていたのでしょう?現代のような設備が整っていない中で 、人々はどのようにして死と向き合い、死者の霊を慰めてきたのか・・・歴史を紐解いていきましょう!

◆古代

img01712年の『古事記』には、人が亡くなるとすぐには埋葬せず、御食人(みけびと)と言われる食事を用意する者や 、哭女(なきめ・・泣き女)などがいて、死者の霊を慰めるために歌舞が行われていたと記されています。他の 文献には葬列をしたとの記録も残っており、死者を丁重に扱うことから、死を一つの『プロセス』として捉えていたようです。
しかしながら、遺体の埋葬方法は、現在の寝た状態での『伸展葬』スタイルではなく、腕を曲げ膝を折った『屈葬』が多くみられました。これは、死霊への恐怖が原因であったとも考えられています。
豪族や有力者、上皇の墓として知られる古墳は、3世紀頃から7世紀までのもので、棺には副葬品としての埴輪 などが納められています。このように手厚く葬った葬法を『厚葬(こうそう)』といいますが、大化改新(646年) の『薄葬令』により、民衆の負担を減らそうといった動きもありました。そういった中でも民衆は墓など作れる はずもなく、川原などに捨てられることもあったといいます。

◆古代~中世
奈良時代末期(790年頃)から、陰陽師(占い師)たちの活動が盛んになる平安時代には、鎮魂、慰霊という考え方が現われました。京都の有名な祇園祭は970年から始まっており、街の怨霊を追い出すことでも知られています。
火葬は仏教の葬法と言われていますが、仏教伝来以前(6世紀半ば)から火葬が行われていた記録があります。しかしながら、上皇でも全てが火葬というわけではなく、土葬をするために白骨化されるまで待つ風葬(ふうそう)に近い形も多くとられていたようです。また、葬儀の基本となる、喪服(日本古来は白)で礼拝し、各法要(初七日や49日など)がすでに行われていた事もこの時代の記録に残されてあります。
天台宗の宗祖最澄は、法華三昧堂を建立し、読経により身が清められると説きました。後にその三昧堂は墓所の意味を指し、寺院へ納骨するようになったと言われています。

◆中世~近世
現代の葬儀に近い、湯灌や出棺の際の儀礼や拾骨(収骨)、その後の法要などが行われたのは平安中期(10世紀 )に入ってからでした。室町時代には、武士の間で今でいう香典が寄せられていたようです。また、この頃の儀 礼は出棺前ではなく、火葬場での仏事が中心だったようですね。夜通しかかった荼毘の後、僧侶が念仏を唱え拾 骨。しかし精進落としは七七日(49日)に行っていました。
農業が主体だった日本の社会では、鎌倉時代から室町時代末期には農民が力を持ち、それまで貴族や武士が支えていた寺院に農民も加わり、自然と檀家関係(寺請制度へ)が誕生します。そのため、それまで持てなかった墓を庶民も持てるようになり、農民の自立により家の確立と墓の所有を実現させたのです。
さて、お正月や各行事でお世話になる神社は『神道(しんとう)』宗教ですが、こちらは鎌倉時代中期以降のものです。しかしすでに檀家関係が強い仏教寺院との軋轢が生まれ、肩身の狭い思いをしていた神社にとって、 明治維新の『神仏分離令』は、国教化という地位を確立したといえます。

【日本史年表】
538年頃 仏教伝来
645年 大化改新
794年 平安京に遷都
806年 最澄 天台宗開く(仏教が普及)
1192年 鎌倉幕府成立
1224年 親鸞浄土真宗開く(一般大衆へと仏教が普及)
1245年 道元 曹洞宗開く
1253年 日蓮 日蓮宗開く
1665年 寺請制度始まる


野田市斎場の予約は、取るのが大変です。

野田市役所野田市斎場の予約は、野田市役所で取ることが出来ます。他の自治体ではHPの予約システム、または電話予約システムにて空き状況確認や予約を何処に居ても取る事が出来るのですが、野田市斎場は野田市役所に死亡届を持って行かないと予約を取ることができません。

その為、電話で空き状況を確認したとしても、野田市役所に着くまでに、他の葬儀社さんが先に野田市役所に着いてしまうと次の日の利用にずれてしまうのです。

普段、予約を取る際は日程の段取りがついた瞬間に、野田市役所に急いで行く。しかも必ず取れる保証はないので、万が一、着くまでに予定していた日をとられてしまうと、またそこから日程の確認をしなければならない・・・・。

段々と予約のやり方も改善されていくことを望むばかりです。

野田市役所の野田市斎場ご案内ページ