葬儀後の手続き 葬祭費受給

手続き葬儀も滞りなく終了した後も、ご遺族の皆様は大切なご家族を失った悲しみに浸る間もなく、遺品の整理や支払いなど、まだまだやるべきことがございます。その中でも最も重要な手続きが自治体、金融機関など公的機関への手続きです。

今回はその方法や注意点などをご紹介したいと思います。

葬祭費受給手続きについて
市・町・村から、葬祭費(埋葬料)の補助金が支払われることをご存知ですか?
①国民健康保険加入者が死亡=死亡した方の保険証・申請者の 印鑑・振込みの場合を考え金融機関の口座番号を控えるなどし て、所轄の市町村の「国民健康保険課」まで申請します。

②社会保険の加入者が死亡 =勤務先の事業主による証明書・死亡を証明する書類(死亡診断書、または埋葬許可証)・印鑑・保険証を所轄の社会保険事務所へ申請します。(約1ヶ月分給与と同額が支払われるそうです)

③社会保険加入者の扶養家族が死亡=社会保険加入者の場合と同じ手続きをします。何れも、勤務先企業で代行してくださることもありますので一度ご相談することをお勧めします。(埋葬費に関しては一律10万円です)

保険・年金の諸手続きについて

①厚生年金に加入されていた場合=故人の扶養家族様に『遺族年金』として支払われます。保険証書・または厚生年金手帳、印鑑、戸籍謄本、死亡診断書を用意し、所轄の社会保険事務所で手続きします。勤務中であれば手続き代行も可能です。勤務中・退職に関わらず、支払い請求は死亡後5年以内で行います。

②共済年金の場合=故人が公務員、教員などの共済組合に加入していた時は、『遺族共済年金』が支払われます。手続きは故人の勤務先に依頼すれば、必要書類等も教えてもらえます。故人の遺産(マイナス遺産も含む)を相続することになったら、引き継ぐ財産の名義を全て変更します。

【名義変更が必要なもの】                    v
●電気・ガス・上下水道・電話・住居・自動車類
●預貯金・有価証券
●不動産関連
●事業継承者手続きや許認可関連
【必要書類】
●遺産分割協議書、または相続人全員の同意書
●印鑑証明書、戸籍謄本
【手数料や税金のかかる手続き】
●不動産、株式、自動車等
【手続き先】
●不動産・農地山林=地方法務局
●自動車     =陸運事務局
●免許証・保険証 =もよりの警察署や社会保険事務所

以上ここまで、葬儀後の大切な手続きを簡潔にご紹介しましたが、家族構成、地方自治体や組織によって、必要書類や受給額などは変わってきます。
また気付かなかったり、一人暮らしの為、相談する人もいないまま期日を過ぎてしまい、思わぬ出費になることもあります。こういった手続きは、基本的に書類さえ揃えばどなたにでも手続きが出来るようになっています。それでも不安な場合や個人では扱えそうにない事柄は専門家を頼りましょう。

賢く専門家を頼りましょう
●税に関すること=税理士
●役所・警察に関すること=行政書士
●財産の登記、裁判書類関すること=司法書士
●相続トラブル遺言執行者代理などに関すること=弁護士


お布施の不思議 (お布施って何?お布施って必要なの?相場はどれくらい?)

今回は、葬儀や法要で準備しなければならない『お布施』
について、本来の意味とあり方、相場について考えてみたいと
思います。

お布施の意味・・・お布施
布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき6つの実践徳目
の一つとされており、執着心を離れてなされるべきものとされて
います。お布施には大きく3種類あります。

① 法施(ほっせ)  仏法の教えを説き、精神的な施しを行うこと。
僧侶の務めにあたります。
② 無畏施(むいせ) 困っている人に親切にしたり、不安や恐れを抱
いている人に安心の施しをすること。
③ 財施(ざいせ)  出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物などを
与えること。「仏教の教え」への感謝を表し施す
こと。皆さんがお布施としているのはこちらの
意味のものですね。

葬儀において、僧侶は読経(法要)を営み、遺族はそれに対して
感謝して財施で応えるものですが、法要はビジネスではなくあくまで
法施であり、遺族側も法要への対価としてではなく、財施として行う
のがお布施なのです。ですから、「お経料」「戒名料」はふさわしく
なく、「お布施」とするのが正しい考え方ということになります。

お布施の歴史・・・
このお布施、いつ頃からの考えなのでしょうか?古くは皇族が領地(荘園)
などを寄付することからきたようですが、庶民がお布施として財物を施す
ようになったのは、やはり寺院と檀家の結びつきが強まり、キリシタンでは
ないことを証明する寺請制度(17世紀後半)あたりではないかと思われます。

お布施の相場・・・
現在は、お寺と遺族の結びつきが少ないため、お布施の金額が分かりづらい
のですが、お寺や自らの経済的事情を考えつつ、相応の金額を包む必要は
あるようです。わからない場合はやはり直接寺院に確認するしかありま
せん。しかしながら、自分なりに「精一杯」という気持ちが伝わる金額で
いいのです。
関東と関西では法要の内容(関西はお月参りがある)が異なるため、
一度あたりの金額は関東のほうが高めなようですね。直接葬儀社に確認する
方法もありますが、基本的にお布施のやりとりに葬儀社が介在するべきでは
ありません。ですが、ご葬儀などでお寺を紹介する場合はご案内させて頂き
ますし、ご不明な点はお問い合わせ下されば、出来る限りのアドバイスを
させて頂きます。

ご葬儀 普通戒名・・40~50万円(関東)・・・30~35万円(地方)
ご法要・・・・・・・5~7万円(関東)・・・(地方)3~5万円

高額なお布施で自らを苦しめてしまうことになれば、やはり遺族も
故人様にとっても辛いことでしょう。ご遺族でよく話し合ってお布施に
ついて考えてくださいね。


葬儀の歴史 後編(近代~現代)

明治維新を境に、葬儀スタイルも大きく変化を遂げます。それまでは身分制度があったため、奢侈(しゃし=ぜいたく)を嫌う行政権力に支配されていました。しかし、葬儀を大きくしたいという民衆の想いはなくならなかったのです。

近代~(火葬)座棺
キリシタン取り締まりを目的としていた幕府が制定した寺請制度でしたが、様々な戸籍の管理をすることとなった寺院への寄進や布施が民衆から批判の的となり、明治維新と共に『神仏分離令』が出され、たくさんの寺院が破壊されました。
そして、明治4年には戸籍法が改正され寺請制度はなくなりましたが、強い基盤を持つ檀家制度は生き続けます。
しかしながら、仏教的である火葬は都市部を除いてはそれほど行われていませんでした。なぜならば、政府が火葬禁止の布告を出していたためです。そうなるとまた火葬寺が『火葬便益論』をだし、土葬だと移動できないことや土地が足りなくなることを理由に、火葬がよいことをアピールします。
それにより政府は2年後には火葬禁止令を撤回し、許可条件を示して火葬を進めるようになりました。ただ、そうは言っても火葬は高額な葬法でしたので、火葬場での荼毘は貴族や武士階級のもので、庶民は野焼きが中心だったようです。

近代~(葬儀)
さて、江戸時代にあった士農工商の身分制度が取り払われると、葬儀は一変します。それまでは、夜にひっそり葬列が組まれていたものが、日中に大名行列のような葬列となったのです。
輿(こし)に寝棺(ねかんと呼ばれる今のスタイルの棺)を入れ、花車(生花などを挿したもの)、位牌の輿、香炉の輿など様々な葬具が出現し、貸し葬具屋が誕生します。地域の人に食事を配るという租供養もこのころから大型化した習慣です。

また、列に欠かせない人夫も必要でした。棺として使われる桶などを製作する桶屋は、江戸時代後期に出現しますが、この時代の葬列の肥大化が、葬儀を生業とする様々な起源になったと考えられています。
『風(風邪)が吹けば桶屋がもうかる』とはそういう意味だったのでしょうか?(諸説ありますが・・)

葬列現代~(葬儀)
大正時代になると、交通の妨げとなる大型葬列に対してのバッシングが強まり、現在の告別式にスタイルを変え、『野辺の送り』である葬列を霊柩車に変えていきました。
そして、告別式で登場したのが『祭壇』です。それまでは、現在の枕飾り(生花、造花、供物が置ける程度のもの)でした。戦時下になると、細々と残っていた葬列もなくなり、霊柩車の燃料や葬具の供給が困難になり、葬儀どころではなくなります。しかしその後、日本経済が復興してくると、葬具屋は地方特有の葬具ではなく、全国どこでも使えるような祭壇などの葬具の統一化を図っていきます。このころ『葬儀=祭壇』という図式が成立していくのです。しかし、まだ貧富の格差が大きかった中で、香典の自粛や制限があったのはやむを得ないことでしょう。
そんな社会情勢を反映してか、横須賀にある西村葬儀社が最初に互助会制度を開始しました。様々な消費者トラブルも多かったようですが、最初に葬儀費用のシステム化に成功した一つの例といえるでしょうか。それまで葬儀の運営は地方自治体が中心でしたが、核家族化の進展により、葬祭業者が運営までを行うようになりました。
家族構成の変化や、車社会化などもあり、それまでの自宅やお寺での葬儀から、火葬場併設の斎場での葬儀に変わり、葬祭業者はよりきめ細かいサービスが求められるようになっていったのです。
バブル崩壊後、葬儀はさらに小型化、密葬化していきます。その人らしい葬儀への関心が高まり、今では『お別れ会』方式の葬儀など多様化が進んでいます。

霊柩車幕府や政府の思惑により、人々の葬儀スタイルは様々に変化してきました。厚薄あっても、死者を丁重に扱う日本人の心は変わっていないのです。
私達は歴史を振り返り、ご遺族様の意向に沿った新しいスタイルの葬儀を進めていきたいと思っております。

 

 

 

日本史年表
1665年  寺請制度始まる
1868年  明治維新
1887年~1897年 葬列の肥大化
1903年  葬列廃止進む
1915年頃 霊柩車使用
1948年  互助会誕生
1953年  祭壇製造増加
1995年  葬儀小型化進む
2000年  火葬率99%(世界一)


葬儀の歴史 前編(古代~近世)

古墳古代
712年の『古事記』には、人が亡くなるとすぐには埋葬せず、御食人(みけびと)と言われる食事を用意する者や、哭女(なきめ・・泣き女)などがいて、死者の霊を慰めるために歌舞が行われていたと記されています。他の文献には葬列をしたとの記録も残っており、死者を丁重に扱うことから、死を一つの『プロセス』として捉えていたようです。
遺体の埋葬方法は、現在の寝た状態での『伸展葬』スタイルではなく、腕を曲げ膝を折った『屈葬』が多くみられました。これは、死霊への恐怖が原因であったとも考えられています。

豪族や有力者、上皇の墓として知られる古墳は、3世紀頃から7世紀までのもので、棺には副葬品としての埴輪などが納められています。このように手厚く葬った葬法を『厚葬(こうそう)』といいますが、大化改新(646年)の『薄葬令』により、民衆の負担を減らそうといった動きもありました。そういった中でも民衆は墓など作れるはずもなく、川原などに捨てられることもあったといいます。

古代~中世
奈良時代末期(790年頃)から、陰陽師(占い師)たちの活動が盛んになる平安時代には、鎮魂、慰霊という考え方が現われました。京都の有名な祇園祭は970年から始まっており、街の怨霊を追い出すことでも知られていますね。

火葬は仏教の葬法と言われていますが、仏教伝来以前(6世紀半ば)から火葬が行われていた記録があります。しかしながら、上皇でも全てが火葬というわけではなく、土葬をするために白骨化されるまで待つ風葬(ふうそう)に近い形も多くとられていたようです。
また、葬儀の基本となる、喪服(日本古来は白)で礼拝し、各法要(初七日や49日など)がすでに行われていた事もこの時代の記録に残されてあります。

天台宗の宗祖最澄は、法華三昧堂を建立し、読経により身が清められると説きました。後にその三昧堂は墓所の意味を指し、寺院へ納骨するようになったと言われています。

公家中世~近世
現代の葬儀に近い、湯灌や出棺の際の儀礼や拾骨(収骨)、その後の法要などが行われたのは平安中期(10世紀)に入ってからでした。室町時代には、武士の間で今でいう香典が寄せられていたようです。
また、この頃の儀礼は出棺前ではなく、火葬場での仏事が中心だったようですね。夜通しかかった荼毘の後、僧侶が念仏を唱え拾骨。しかし精進落としは七七日(49日)に行っていました。

農業が主体だった日本の社会では、鎌倉時代から室町時代末期には農民が力を持ち、それまで貴族や武士が支えていた寺院に農民も加わり、自然と檀家関係(寺請制度へ)が誕生します。
そのため、それまで持てなかった墓を庶民も持てるようになり、農民の自立により家の確立と墓の所有を実現させたのです。

ところで、お正月や各行事でお世話になる神社は『神道(しんとう)』宗教ですが、こちらは鎌倉時代中期以降のものです。
しかしすでに檀家関係が強い仏教寺院との軋轢が生まれ、肩身の狭い思いをしていた神社にとって、明治維新の『神仏分離令』は、国教化という地位を確立したといえます。

日本史年表
538年頃 仏教伝来
645年  大化改新
794年  平安京に遷都
806年  最澄 天台宗開く
(仏教が普及)
1192年 鎌倉幕府成立
1224年 親鸞浄土真宗開く
(一般大衆へと仏教が普及)
1245年 道元 曹洞宗開く
1253年 日蓮 日蓮宗開く
1665年 寺請制度始まる


知ってますか?葬儀費用のこと…

事前相談2残されたものにとって、重くのしかかってくる葬儀費用。大切な方が亡くなった悲しみの中で、冷静に対応していかなければならない重大な内容です。どのような葬儀にするか、本人の希望を盛込みながら、また、お世話になった方々への感謝の気持ちも表す意味で、費用を抑えながらも心に残る葬儀をしたい…そうお考えのご遺族も多いはず。

弊社では、『抑えられる費用は抑えた、心温まる葬儀』の実現を目指して、皆様にご提案しています。

葬儀費用とは、以下のようなものがあります。
①通夜・告別式典費用
②お料理費用
③返礼品代
④ お寺様へのお布施代

全国平均費用から弊社平均費用を見る限り、ただ表面上の費用を抑えているだけでは?後に追加でかかるのでは?との疑問が出てくるかもしれません。

弊社では、そういった費用に関する疑問や不安を取り除くために、相談または見積もりの段階で誓約書を提示しています。大幅な人数変更が無い限り、基本的には最初にお打合せした費用から変更されることはありません。そうでなければ、気持ちよくご葬儀を執り行うことが出来ないからです。
そのために、弊社では生前のお見積もりをお勧めしています。必要な費用がどういうものか把握するためにも、是非一度お気軽にお問い合わせ下さいませ。安心の事前契約や会員制もしいております。

よい葬儀社の選び方・・・
① 電話での対応や説明が丁寧で分かり易い。
② 費用が明瞭
③ 契約を急がせない。
④ 明確な事前見積りがある。
⑤ 親身になり相談にのってくれる人柄の良い担当がいる。

もう葬儀は、葬儀社だけのものではありません。皆様で作り上げるものなのです。

 


知ってほしい・・・葬儀のこと、自分のこと、家族の願い・・・

OLYMPUS DIGITAL CAMERA弊社では、電話やインターネットによる事前相談やお見積もりを行っています。以前と比べ、今や事前の葬儀のご相談は、珍しくないものとなりました。それは、葬儀が葬儀社や地域によってのものではなく、ご本人、ご家族様主体のものに変わりつつあるからです。
ご親族、隣近所や地域の関わりが深かった昔は、自分の家族の葬儀であっても、自由に決められないものでした。しかし、少しずつそういった規模が縮小してきた今、故人様の意向や遺族様の意見が取り入れられ、自由でオリジナリティー溢れるご葬儀が実現可能となったのです。そしてそれは、事前の準備があってこそ、素敵な心温まるご葬儀となりえるのです。

事前のお見積もりには、様々な利点がございます。
① 葬儀の内容を知り、相場が分かる。
② 突然の事態にも、冷静に対応できる。
③ 高額な葬儀を、数時間で決める必要がない。
(葬儀社の言いなりにならない)
④ ご自分の葬儀相談の場合、意見を盛込める。

亡くなって一番大変な想いをするのは、残されたご遺族です。亡くなった悲しみに浸る時間もなく、故人様の意向もわからないまま、葬儀を決めなければならないのです。

そのために、弊社では、『エンディングノート』をお勧めしています。この『エンディングノート』というのは、自分の生い立ちや学歴、職歴などに加え、今後の夢ややりたい事、家族に託した想い、希望する葬儀や事務手続きなど、まさに自分の人生を描いたノートです。
そうすることによって、目標がはっきりと定められ、豊かな人生を送ることが出来るのではないか・・・と考えます。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA自分の死後のこと、ご主人や奥様のことを、縁起が悪くて考えられない・・・そうお考えではありませんか?
人は一人で最期を迎えますが、たった一人で生きてきてはいないですね。生きてきた証と、残された方々への恩返しの想いを込めて、『エンディングノート』、書き綴ってはみませんか?

事前相談、お見積はお電話やメールにて承っております。ご相談件数が多い場合はお時間を頂く場合もございますが、ご期待に沿うよう迅速な対応を心がけておりますので、是非一度ご相談くださいませ。


異業種から葬儀業界参入!!大切な事は・・・。

スーパー2009年9月・・・葬儀業界で噂されていた大手小売業店が『安心のお葬式』と題して、葬儀ビジネスを展開したニュースはもうご存知でしょう。
大手小売業店が提携する葬儀社を紹介する形で、窓口として葬儀依頼を受けます。
特約店葬儀社は管理下で内容をチェックされ、葬儀社の言いなりで葬儀費用が高額にならないように、また、喪主様の負担を軽くするためにコンシェルジュなるものも用意している対応振りです。
祭壇花や返礼品、受付まわりの備品などを自社で大量に仕入れることで費用を抑えているといいますが、事務手続きなどは各自でやらなければならず、ある程度葬儀経験のある方ならいざ知らず、全く葬儀を知らない方は結局のところ相談料の負担も増え、心身共にお疲れになるのでは、との声も。

◎各社の対応を見極める
自分らしい葬儀、手作り感のある『DIY葬儀』が増えつつある中で、『ブラックボックス』と呼ばれる祭壇などの葬儀に関する知識を自分なりに勉強していかなければ、確かに葬儀社の言いなりになってしまうと思われるのです。そのためには、是非とも複数社からの事前相談をお勧めしたいと存じます。
そして、各社の対応をみて感じて頂きたいのです。
葬儀費用に関しては、数社を比較すればある程度の相場が想像できますが、目に見えない部分での、ご相談からその対応、ご葬儀から法要までと、亡くなった方がいらした時から数年先まで故人様やそのご遺族様と関わっていくのですから、大変重要な部分となります。

◎信頼できる葬儀社を・・・
当社アートエンディングの葬儀は、打ち合わせから法要までを一人の担当が全てを最後まで請け負います。
それは、一つの出会いだと思うのです。葬儀社が出会いと言っては失礼かも知れませんが、それほど深く関わっていく内容のものだと思っています。皆さんも身近にもしそのような葬儀屋さんがいるとしたら安心だと思います。

当社ではどんな内容のご相談でも電話や店頭でお待ちしておりますし、お見積りもいつでもお受け致しますので、お気軽にお問い合わせ下さいませ。


カンボジア社員旅行記最終章!!

霊柩車・・他国の独特な葬儀スタイル カンボジアの葬儀・・・
自宅で死を迎えることがほとんどだというカンボジアの人々。
たとえ病気で入院していても、最期は自宅に戻って家族に看取ってもらうようです。
葬儀自体は、中国式の色とりどりの供物に囲まれた派手な葬儀と似ていて、結婚式と区別がつかないくらい華やかで、音楽なども流れ、賑やかな雰囲気で行われます。

花輪屋プノンペンで成功したとされる、ある息子さんの葬儀。首都プノンペンから葬儀業者が呼ばれ、電飾を多く使った派手な葬儀が行われたそうです。
しかし、参列者は極端に少なかった・・・その一方で、村人達によって式の準備から実施まで行われた葬儀は、参列者も通常の葬儀以上の人が部落内外から集まったのです。この二つは何を意味するかお解りですね。貧富の差はあっても、必ずしも幸せな人生や最期とは限らないのです・・・。

 

土葬から火葬へ・・・
中国では、1950年代以降、都市部を中心に火葬が広まり、ここカンボジアでもその傾向は同じようです。事実、プノンペン市内だけでは火葬場が足りず、郊外に増設する予定なのだとか。日本でも昔は土葬でしたね。

獅子舞同じ仏教国であること・・・
王朝によってはヒンズー教の時代もあったようですが、基本的には日本と同じ仏教国。有力者の豪邸前には、日本の神社にもある獅子が鎮座し、邪悪なものをよせつけないよう見張っています。


カンボジア社員旅行記第二弾!!・・・続、教育の現状

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA深刻な経済状況・・・
人口の70%が25歳以下という、有り余る労働力があるカンボジアで、
失業率は40%といいます。日本の物価の4分の1程で生活できるものの、
平均月収は100ドル(日本円にして約1万円)。そのうち、教師は50~70ドル
の薄給なのです。当然人気の低い教師になる人は少ないものの、他の仕事が
あるかといえば、何もない。どんな仕事があるかさえ、カンボジアの人々
は知らないのです。

 なぜ教師がいないのか・・・
ポル・ポト政権によって、あらゆる知識層の人々(教師、医者など)が
抹殺されてしまいました。メガネをかけているだけで連れて行かれたと
いいます。教育者を失った人々は、その中で幸い字を読めた人が教科書を
手に(それも自国の教科書ではなく)自分自身も勉強しながら、現在の教育
は成り立っています。

優秀であっても、その才能は活かされないまま・・・。豊かな家に生まれ
育ったものは、しっかりとした教育を受けられ、そして海外に出て行ってし
まう。それでも残された人々は夢を追いかけ、毎日を一生懸命生きているの
です。

 日本人として、人間として出来ること・・・
日本を始めとするあらゆる国が援助をし、カンボジアは発展に向けて努力を
しています。しかし、全ての根本である教育を進めてこそ、今後のカンボジア
の本当の発展があるのです。タヤマカンボジアは、自らの国づくりの手助け
となる人材育成に取り組んでおります。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA『当たり前の教育を受けられる環境にあるすばらしさ』
がいかに大切であるかを改めて考えさせられました。

旅行中、タクシードライバーの客の取り合いに巻き込まれた吉田さん。
行き先がわからないにも関わらず、とりあえず乗せたドライバーに唖然とする
一行でしたが、疑う余地のないドライバーの行動に、人柄の良さとハングリー
精神を垣間見た出来事でした。


やっと実現した夢のカンボジア社員旅行!!なぜカンボジアなのか・・・

2カンボジア2 インドシナ半島の中央やや南西側に位置するカンボジアは、
タイ、ラオス、ベトナムと国境を接し、日本のほぼ半分の国土
に約13.8百万人が住んでいます。家族や仲間を大事にし、人柄
の良さがにじみ出る笑顔で迎えてくれた人々。そんな彼らの日
常や文化、私達の今後の役割について学ぶ為、カンボジア旅行
は企画されました。

フランス保護領から独立後、1975年から4年あまり、ポル・ポト
政権によって支配された爪あとが今でも彼らの日常に影響を与えて
います。大量虐殺が行われた元強制収容所で遊ぶ子供達。横行する
賄賂。なぜか太った警察官達。交通ルールのない道路事情。やるこ
とがなくボーっとする若者達。彼らは自分の力だけではどうする
ことも出来ないまま、ただ毎日を過ごしているのです。

アンコール遺跡でも有名なカンボジア。波長が合うとそこから動け
なくなるという遺跡と巡り会えなかった渡辺さんでしたが、
Angkorビールやパクチー付のなかなか美味しい食事にも関らず、
うち三名は腹痛でダウン。ホテルから動けなくなった西本社長でした。

そんな中、タヤマカンボジアへの訪問は、社員全員がパワーを
もらえた場所となりました。日本語が無料で勉強できるこの施設
には、沢山の夢と希望を持った生徒が毎日目を輝かせなが
ら学んでいます。
それをみた社員全員が思ったこと・・・それは、
日本で当たり前に教育を受けられる環境がいかに恵まれているかと
いうことでした。そして、自分の夢が持てる未来があるということ
のすばらしさ・・・。
旅行中、社員全員がお世話になったガイドの『Mr.一番』さん。2カンボジア1
洋服にそう書いてあったので命名されましたが、本当の名前は誰も
知りません。呼んだらナイトのように飛んできて、家族のように常に
一緒にいてくれました。