祭壇も様々なニーズが増えてきました

花祭壇自分でお葬式をプランニングする人が増えたことで、お葬式に使う祭壇の種類も色々と増えてきています。
昔から定番の檜や白松の祭壇は安定した人気を誇っていますし、最近では棺や写真を花で囲む花祭壇の人気が上がっています。
テレビで良く見る芸能人のお葬式が豪華そうに見えるのは、花祭壇でのお葬式が多いということも要因の一つだと思います。
自分の好きな花に囲まれて送り出されるのって凄く素敵ですよね。(´∀`*)
また、オリジナルにデザインされた花祭壇は使いまわしができないので世界にひとつだけのお葬式をしたい時にも最適ですよ。
勿論、白木祭壇の掘りの細かさや圧倒的な存在感もオススメしておりますので、ぜひ自分が気に入る祭壇を選んで下さいね。


亡くなられた方と対面する時に気をつけること

対面亡くなった方の顔を見る時は、事前に御遺族に対面の了承を得てからにしましょう。
了承も得ていないのに何も言わずいきなり顔に掛けてある白い布を取るのはマナー違反です。
また、葬儀の開始前などの忙しい時間にはこちらから「見ても良いでしょうか?」と聞くことはせず御遺族から促されるまでは待つべきです。
了承が得られた場合は亡くなった方の傍に行き、一礼してから対面します。顔に掛けてある白い布は御遺族の方に外してもらい、手を合わせて静かにお祈りさせて貰いましょう。
また、積もる話も沢山あるでしょうが他の方が待っている場合は手短に済ませ、対面が終わった後は御遺族の方への感謝と慰みの言葉を言って素早くその場を離れて下さい。


お人形さんありがとう 人形供養祭

人形供養我が社では毎年定期的に人形の供養祭をしております。
葬儀場だけではなく神社等でもよく人形の供養は行われていますね。
昔の日本には人が病気になった時などに人形を身代わりとして奉納する習慣がありました。
その為、その人形を供養する風習が今でも残っているのです。
単にその人形を供養するのではなく、その人形に託された思いを大切にするというとても素敵な風習ですよね。(*^-^*)
雛祭りの人形でも、普通のキャラクターのぬいぐるみでも一つ一つに皆様の大切な思いがこもっていると思います。
こうやって皆様の大切な人形を供養させて頂いていると、私も幼い頃に人形遊びをしていたことを思い出します。
皆様も大切な思い出のある人形がありましたら、ぜひ供養祭の時にお持ちより下さいね。


葬儀後の手続き 葬祭費受給

手続き葬儀も滞りなく終了した後も、ご遺族の皆様は大切なご家族を失った悲しみに浸る間もなく、遺品の整理や支払いなど、まだまだやるべきことがございます。その中でも最も重要な手続きが自治体、金融機関など公的機関への手続きです。

今回はその方法や注意点などをご紹介したいと思います。

葬祭費受給手続きについて
市・町・村から、葬祭費(埋葬料)の補助金が支払われることをご存知ですか?
①国民健康保険加入者が死亡=死亡した方の保険証・申請者の 印鑑・振込みの場合を考え金融機関の口座番号を控えるなどし て、所轄の市町村の「国民健康保険課」まで申請します。

②社会保険の加入者が死亡 =勤務先の事業主による証明書・死亡を証明する書類(死亡診断書、または埋葬許可証)・印鑑・保険証を所轄の社会保険事務所へ申請します。(約1ヶ月分給与と同額が支払われるそうです)

③社会保険加入者の扶養家族が死亡=社会保険加入者の場合と同じ手続きをします。何れも、勤務先企業で代行してくださることもありますので一度ご相談することをお勧めします。(埋葬費に関しては一律10万円です)

保険・年金の諸手続きについて

①厚生年金に加入されていた場合=故人の扶養家族様に『遺族年金』として支払われます。保険証書・または厚生年金手帳、印鑑、戸籍謄本、死亡診断書を用意し、所轄の社会保険事務所で手続きします。勤務中であれば手続き代行も可能です。勤務中・退職に関わらず、支払い請求は死亡後5年以内で行います。

②共済年金の場合=故人が公務員、教員などの共済組合に加入していた時は、『遺族共済年金』が支払われます。手続きは故人の勤務先に依頼すれば、必要書類等も教えてもらえます。故人の遺産(マイナス遺産も含む)を相続することになったら、引き継ぐ財産の名義を全て変更します。

【名義変更が必要なもの】                    v
●電気・ガス・上下水道・電話・住居・自動車類
●預貯金・有価証券
●不動産関連
●事業継承者手続きや許認可関連
【必要書類】
●遺産分割協議書、または相続人全員の同意書
●印鑑証明書、戸籍謄本
【手数料や税金のかかる手続き】
●不動産、株式、自動車等
【手続き先】
●不動産・農地山林=地方法務局
●自動車     =陸運事務局
●免許証・保険証 =もよりの警察署や社会保険事務所

以上ここまで、葬儀後の大切な手続きを簡潔にご紹介しましたが、家族構成、地方自治体や組織によって、必要書類や受給額などは変わってきます。
また気付かなかったり、一人暮らしの為、相談する人もいないまま期日を過ぎてしまい、思わぬ出費になることもあります。こういった手続きは、基本的に書類さえ揃えばどなたにでも手続きが出来るようになっています。それでも不安な場合や個人では扱えそうにない事柄は専門家を頼りましょう。

賢く専門家を頼りましょう
●税に関すること=税理士
●役所・警察に関すること=行政書士
●財産の登記、裁判書類関すること=司法書士
●相続トラブル遺言執行者代理などに関すること=弁護士


ご遺族様への配慮

配慮故人の霊を慰めるお葬式。故人への配慮は勿論ですが、残された御遺族の方への配慮も忘れてはなりません。
故人やご家族とあなたとの関係にもよりますが、お通夜・お葬式当日やその周辺の日は御遺族の方と長時間話すのは避けましょう。
特に死因や死亡時刻などの直接的な話を根掘り葉掘り聞くのは御遺族の方の心の傷にさわりますので控えましょう。
大切な人が亡くなったショックやお通夜・お葬式の準備で疲れきっている御遺族の心中を察し、遠くから見守るのがマナーです。
ただし、御遺族の方が話を聞いて欲しそうだったり何か困っていそうだったらこちらから「何か出来ることがあれば遠慮なくおっしゃって下さい」と言いましょう。
たった一言ですが、御遺族の方への思いやりは十分伝わります。


お布施の不思議 (お布施って何?お布施って必要なの?相場はどれくらい?)

今回は、葬儀や法要で準備しなければならない『お布施』
について、本来の意味とあり方、相場について考えてみたいと
思います。

お布施の意味・・・お布施
布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき6つの実践徳目
の一つとされており、執着心を離れてなされるべきものとされて
います。お布施には大きく3種類あります。

① 法施(ほっせ)  仏法の教えを説き、精神的な施しを行うこと。
僧侶の務めにあたります。
② 無畏施(むいせ) 困っている人に親切にしたり、不安や恐れを抱
いている人に安心の施しをすること。
③ 財施(ざいせ)  出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物などを
与えること。「仏教の教え」への感謝を表し施す
こと。皆さんがお布施としているのはこちらの
意味のものですね。

葬儀において、僧侶は読経(法要)を営み、遺族はそれに対して
感謝して財施で応えるものですが、法要はビジネスではなくあくまで
法施であり、遺族側も法要への対価としてではなく、財施として行う
のがお布施なのです。ですから、「お経料」「戒名料」はふさわしく
なく、「お布施」とするのが正しい考え方ということになります。

お布施の歴史・・・
このお布施、いつ頃からの考えなのでしょうか?古くは皇族が領地(荘園)
などを寄付することからきたようですが、庶民がお布施として財物を施す
ようになったのは、やはり寺院と檀家の結びつきが強まり、キリシタンでは
ないことを証明する寺請制度(17世紀後半)あたりではないかと思われます。

お布施の相場・・・
現在は、お寺と遺族の結びつきが少ないため、お布施の金額が分かりづらい
のですが、お寺や自らの経済的事情を考えつつ、相応の金額を包む必要は
あるようです。わからない場合はやはり直接寺院に確認するしかありま
せん。しかしながら、自分なりに「精一杯」という気持ちが伝わる金額で
いいのです。
関東と関西では法要の内容(関西はお月参りがある)が異なるため、
一度あたりの金額は関東のほうが高めなようですね。直接葬儀社に確認する
方法もありますが、基本的にお布施のやりとりに葬儀社が介在するべきでは
ありません。ですが、ご葬儀などでお寺を紹介する場合はご案内させて頂き
ますし、ご不明な点はお問い合わせ下されば、出来る限りのアドバイスを
させて頂きます。

ご葬儀 普通戒名・・40~50万円(関東)・・・30~35万円(地方)
ご法要・・・・・・・5~7万円(関東)・・・(地方)3~5万円

高額なお布施で自らを苦しめてしまうことになれば、やはり遺族も
故人様にとっても辛いことでしょう。ご遺族でよく話し合ってお布施に
ついて考えてくださいね。


葬儀の歴史 後編(近代~現代)

明治維新を境に、葬儀スタイルも大きく変化を遂げます。それまでは身分制度があったため、奢侈(しゃし=ぜいたく)を嫌う行政権力に支配されていました。しかし、葬儀を大きくしたいという民衆の想いはなくならなかったのです。

近代~(火葬)座棺
キリシタン取り締まりを目的としていた幕府が制定した寺請制度でしたが、様々な戸籍の管理をすることとなった寺院への寄進や布施が民衆から批判の的となり、明治維新と共に『神仏分離令』が出され、たくさんの寺院が破壊されました。
そして、明治4年には戸籍法が改正され寺請制度はなくなりましたが、強い基盤を持つ檀家制度は生き続けます。
しかしながら、仏教的である火葬は都市部を除いてはそれほど行われていませんでした。なぜならば、政府が火葬禁止の布告を出していたためです。そうなるとまた火葬寺が『火葬便益論』をだし、土葬だと移動できないことや土地が足りなくなることを理由に、火葬がよいことをアピールします。
それにより政府は2年後には火葬禁止令を撤回し、許可条件を示して火葬を進めるようになりました。ただ、そうは言っても火葬は高額な葬法でしたので、火葬場での荼毘は貴族や武士階級のもので、庶民は野焼きが中心だったようです。

近代~(葬儀)
さて、江戸時代にあった士農工商の身分制度が取り払われると、葬儀は一変します。それまでは、夜にひっそり葬列が組まれていたものが、日中に大名行列のような葬列となったのです。
輿(こし)に寝棺(ねかんと呼ばれる今のスタイルの棺)を入れ、花車(生花などを挿したもの)、位牌の輿、香炉の輿など様々な葬具が出現し、貸し葬具屋が誕生します。地域の人に食事を配るという租供養もこのころから大型化した習慣です。

また、列に欠かせない人夫も必要でした。棺として使われる桶などを製作する桶屋は、江戸時代後期に出現しますが、この時代の葬列の肥大化が、葬儀を生業とする様々な起源になったと考えられています。
『風(風邪)が吹けば桶屋がもうかる』とはそういう意味だったのでしょうか?(諸説ありますが・・)

葬列現代~(葬儀)
大正時代になると、交通の妨げとなる大型葬列に対してのバッシングが強まり、現在の告別式にスタイルを変え、『野辺の送り』である葬列を霊柩車に変えていきました。
そして、告別式で登場したのが『祭壇』です。それまでは、現在の枕飾り(生花、造花、供物が置ける程度のもの)でした。戦時下になると、細々と残っていた葬列もなくなり、霊柩車の燃料や葬具の供給が困難になり、葬儀どころではなくなります。しかしその後、日本経済が復興してくると、葬具屋は地方特有の葬具ではなく、全国どこでも使えるような祭壇などの葬具の統一化を図っていきます。このころ『葬儀=祭壇』という図式が成立していくのです。しかし、まだ貧富の格差が大きかった中で、香典の自粛や制限があったのはやむを得ないことでしょう。
そんな社会情勢を反映してか、横須賀にある西村葬儀社が最初に互助会制度を開始しました。様々な消費者トラブルも多かったようですが、最初に葬儀費用のシステム化に成功した一つの例といえるでしょうか。それまで葬儀の運営は地方自治体が中心でしたが、核家族化の進展により、葬祭業者が運営までを行うようになりました。
家族構成の変化や、車社会化などもあり、それまでの自宅やお寺での葬儀から、火葬場併設の斎場での葬儀に変わり、葬祭業者はよりきめ細かいサービスが求められるようになっていったのです。
バブル崩壊後、葬儀はさらに小型化、密葬化していきます。その人らしい葬儀への関心が高まり、今では『お別れ会』方式の葬儀など多様化が進んでいます。

霊柩車幕府や政府の思惑により、人々の葬儀スタイルは様々に変化してきました。厚薄あっても、死者を丁重に扱う日本人の心は変わっていないのです。
私達は歴史を振り返り、ご遺族様の意向に沿った新しいスタイルの葬儀を進めていきたいと思っております。

 

 

 

日本史年表
1665年  寺請制度始まる
1868年  明治維新
1887年~1897年 葬列の肥大化
1903年  葬列廃止進む
1915年頃 霊柩車使用
1948年  互助会誕生
1953年  祭壇製造増加
1995年  葬儀小型化進む
2000年  火葬率99%(世界一)


葬儀の歴史 前編(古代~近世)

古墳古代
712年の『古事記』には、人が亡くなるとすぐには埋葬せず、御食人(みけびと)と言われる食事を用意する者や、哭女(なきめ・・泣き女)などがいて、死者の霊を慰めるために歌舞が行われていたと記されています。他の文献には葬列をしたとの記録も残っており、死者を丁重に扱うことから、死を一つの『プロセス』として捉えていたようです。
遺体の埋葬方法は、現在の寝た状態での『伸展葬』スタイルではなく、腕を曲げ膝を折った『屈葬』が多くみられました。これは、死霊への恐怖が原因であったとも考えられています。

豪族や有力者、上皇の墓として知られる古墳は、3世紀頃から7世紀までのもので、棺には副葬品としての埴輪などが納められています。このように手厚く葬った葬法を『厚葬(こうそう)』といいますが、大化改新(646年)の『薄葬令』により、民衆の負担を減らそうといった動きもありました。そういった中でも民衆は墓など作れるはずもなく、川原などに捨てられることもあったといいます。

古代~中世
奈良時代末期(790年頃)から、陰陽師(占い師)たちの活動が盛んになる平安時代には、鎮魂、慰霊という考え方が現われました。京都の有名な祇園祭は970年から始まっており、街の怨霊を追い出すことでも知られていますね。

火葬は仏教の葬法と言われていますが、仏教伝来以前(6世紀半ば)から火葬が行われていた記録があります。しかしながら、上皇でも全てが火葬というわけではなく、土葬をするために白骨化されるまで待つ風葬(ふうそう)に近い形も多くとられていたようです。
また、葬儀の基本となる、喪服(日本古来は白)で礼拝し、各法要(初七日や49日など)がすでに行われていた事もこの時代の記録に残されてあります。

天台宗の宗祖最澄は、法華三昧堂を建立し、読経により身が清められると説きました。後にその三昧堂は墓所の意味を指し、寺院へ納骨するようになったと言われています。

公家中世~近世
現代の葬儀に近い、湯灌や出棺の際の儀礼や拾骨(収骨)、その後の法要などが行われたのは平安中期(10世紀)に入ってからでした。室町時代には、武士の間で今でいう香典が寄せられていたようです。
また、この頃の儀礼は出棺前ではなく、火葬場での仏事が中心だったようですね。夜通しかかった荼毘の後、僧侶が念仏を唱え拾骨。しかし精進落としは七七日(49日)に行っていました。

農業が主体だった日本の社会では、鎌倉時代から室町時代末期には農民が力を持ち、それまで貴族や武士が支えていた寺院に農民も加わり、自然と檀家関係(寺請制度へ)が誕生します。
そのため、それまで持てなかった墓を庶民も持てるようになり、農民の自立により家の確立と墓の所有を実現させたのです。

ところで、お正月や各行事でお世話になる神社は『神道(しんとう)』宗教ですが、こちらは鎌倉時代中期以降のものです。
しかしすでに檀家関係が強い仏教寺院との軋轢が生まれ、肩身の狭い思いをしていた神社にとって、明治維新の『神仏分離令』は、国教化という地位を確立したといえます。

日本史年表
538年頃 仏教伝来
645年  大化改新
794年  平安京に遷都
806年  最澄 天台宗開く
(仏教が普及)
1192年 鎌倉幕府成立
1224年 親鸞浄土真宗開く
(一般大衆へと仏教が普及)
1245年 道元 曹洞宗開く
1253年 日蓮 日蓮宗開く
1665年 寺請制度始まる